漁師に教えられた方向へ、港の岸壁を歩いていく。
「あっち、って言ってたよな〜」
もう一度、振り返る。
漁師の船は少し遠くなっていた。
さっき指さしていた方向は、たぶんこちらで合っている。
「いっぱいいるって、どのくらいだろ」
別にボラを釣りたいわけではない。
今日は釣り竿も持っていない。
ただ、たくさん集まっていると聞いたから、見てみたくなった。
それだけだ。
岸壁を歩きながら、ときどき海を覗く。
小さな魚がいる。
海藻の近くを、何匹かまとまって泳いでいた。
「これは違うな」
また歩く。
少し先で立ち止まる。
水面を見る。
「…………」
いない。
「本当にいるのかな〜」
さらに歩いていく。
港の奥へ進むにつれて、海面の様子が少し変わってきた。
風はさっきより弱い。
水面も穏やかだ。
岸壁の壁には、潮が引いた跡が残っている。
まだ潮位は低い。
「…………」
ふと足を止めた。
海面に、小さな波紋が広がった。
「ん?」
しばらく見る。
またひとつ。
少し離れたところにも。
ぽつん。
ぽつん。
「いるな」
岸壁の縁へ近づいた。
水面を覗き込む。
「お〜!」
いた。
一匹や二匹ではない。
何十匹いるのか分からない。
大きなボラが、ゆっくりと群れになって泳いでいる。
「本当にいっぱいいるじゃん」
漁師の言ったとおりだった。
ボラの群れは、港の奥の一角を行ったり来たりしている。
同じ場所にとどまっているように見えて、少しずつ動いている。
「…………」
しばらく眺める。
右へ。
そして左へ。
また右へ。
「なんでここなんだろ?」
何気なく周りを見る。
風。
岸壁。
水面。
潮の動き。
少し離れたところでは、水面の細かなゴミがゆっくりと流れている。
「…………」
その流れを目で追う。
こちらへ流れてきて。
少し曲がって。
ボラの群れがいるあたりで、動きが緩くなっている。
「なるほど」
もう一度、ボラを見る。
群れの何匹かが水面近くまで上がってきた。
口を開けるような動きをして、また沈んでいく。
「何か食ってるのかな?」
今度は水面を見る。
何があるのかは、よく分からない。
けれど魚がそこにいるということは、そこにいる理由がある。
水温なのか。
流れなのか。
エサなのか。
それとも、ほかの何かなのか。
「…………」
別に答えを出す必要はない。
今日は釣りをするわけではないのだから。
それでも、気になる。
魚がいれば見る。
見ているうちに、なぜそこにいるのか考える。
昔から、そうだった。
しばらくすると、群れが動き始めた。
「あっ」
ゆっくりと岸壁から離れていく。
少し沖へ出て。
また向きを変える。
「そっち行くのか」
数歩歩いて追いかける。
ボラが止まる。
こちらも止まる。
また動く。
こちらも歩く。
「…………」
ふと気がついた。
「俺、何やってんだ?」
魚を釣っているわけでもない。
エサをやっているわけでもない。
ただ、ボラの群れについて歩いている。
「まあ、いいか」
また出た。
最近、この言葉も増えた気がする。
岸壁に腰を下ろした。
目の前を、ボラの群れがゆっくり通り過ぎていく。
大きな魚体が陽射しを受けて、一瞬だけ銀色に光った。
「でかいな〜」
こうして近くで見ると、なかなか立派な魚だ。
釣りをしているときなら、
どうやったら釣れるだろう。
何を食っているんだろう。
どこへ仕掛けを入れよう。
そんなことを考えるのかもしれない。
でも今日は、竿がない。
仕掛けもない。
エサもない。
だから、ただ見る。
「…………」
それも悪くなかった。
魚が泳いでいる。
潮が動いている。
風が吹いている。
それを眺めているだけなのに、気がつけばずいぶん時間が経っていた。
「散歩だったんだけどな〜」
そう言いながら、立ち上がろうとはしない。
ボラの群れが、またゆっくり戻ってきた。
「おかえり」
もちろん、ボラは答えない。
そのまま目の前を通り過ぎていく。
春の海は穏やかだった。
何も釣っていない。
何も持ち帰らない。
それでも今日は、なんとなく海を楽しんだ気がした。
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