第6話 「案内係」    
 
 猫はまだ足元にいた。

 すりすり。

 右へ回って。

 また左へ回る。

  「ずいぶん気に入られたな」

 船の上から漁師が言った。

  「そうなんですかね〜」

 しゃがんで猫の頭を撫でる。

 ごろごろごろ。

  「昨日会ったばっかりなんですけどね」

  「猫なんてそんなもんだろ」

  「そんなもんですか?」

  「知らねえけど」

  「知らないんじゃないですか」

 漁師が笑った。

 猫はそんな会話には興味がないらしい。

 今度は岸壁のほうへ歩いていくと、船の中を覗き込むように首を伸ばした。

  「おいおい、危ないぞ」

 声をかけると、猫がこちらを見る。

  「にゃあ」

  「落ちるなよ〜」

  「そいつ、魚が欲しいんじゃねえか?」

 漁師が言った。

  「魚?」

  「ちょっと待ってろ」

 船の中で何かを探し始めた。

  「いやいや、別にいいですよ」

  「あったあった」

 漁師が手にしていたのは、小さな魚だった。

  「じゃあ猫にこれやるよ〜」

  「え?」

  「ほれ」

 小魚をこちらへ放る。

 ぽいっ。

  「いや、自分の猫じゃ……」

 言い終わるより早かった。

 足元にいた猫が飛び出した。

  「おっ!」

 小魚が岸壁へ落ちる。

 その瞬間。

 ぱくっ。

  「…………」

 猫は見事に魚をくわえていた。

  「早っ」

  「ははは」

 漁師が笑う。

  「お前、さっきまであんなに俺にすりすりしてたじゃないか」

 猫はこちらを見た。

 口には魚をくわえている。

  「…………」

  「…………」

 ほんの一瞬、目が合った。

 そして猫は、くるりと向きを変えた。

  「あれ?」

 歩いていく。

  「お〜い」

 止まらない。

 魚をくわえたまま、港の出口へ向かっていく。

  「おいおい」

 さっきまで足元から離れなかった猫とは思えない。

 迷いがない。

 振り返りもしない。

  「帰るのか?」

 もちろん答えない。

 猫はそのまま港を出ていった。

  「…………」

 姿が見えなくなった。

  「…………」

 しばらく港の出口を見る。

 漁師が船の上から言った。

  「帰ったな」

  「帰りましたね」

  「魚もらったら用済みか」

  「…………」

 その言葉が、妙に引っかかった。

  「ちょっと待ってください」

  「なんだ?」

  「昨日ですよ」

  「昨日?」

  「昨日、あいつと道で会ったんですよ」

  「ああ」

  「ずっと遊んでたから、結局ここまで来られなかったんです」

  「そう言ってたな」

  「それで今日は、構わずに歩いてきたんですよ」

  「うん」

  「そしたら、あいつが後ろからついてきた」

  「そうだな」

  「ここまで」

  「そうだな」

  「…………」

 港の出口を見る。

 猫はもういない。

  「で、魚をもらったら帰った」

  「帰ったな」

  「…………」

 少し考える。

  「ひょっとして……」

  「なんだ?」

  「あいつ、港に来たかっただけなんじゃ……」

  「かもな」

  「…………」

 昨日の猫を思い出す。

 すりすり。

 ごろごろ。

 にゃあ。

 そして今日。

 後ろをついてきて。

 港へ到着。

 魚をもらう。

 帰る。

  「…………」

 なんとなく話がつながってしまった。

  「じゃあ俺……」

 漁師を見る。

  「港までの案内係だったの?」

  「ははははは!」

 漁師が大きな声で笑った。

  「笑わないでくださいよ〜」

  「いいじゃねえか。役に立ったんだから」

  「猫の?」

  「猫の」

  「…………」

 もう一度、港の出口を見る。

 もちろん猫の姿はない。

  「せめて一回くらい振り返れよな〜」

 春の風が、港の中を通り抜けていった。

 船がゆっくり揺れている。

 海面では、小さな波がきらきらと光っていた。

  「まあ、いいか」

  「何が?」

  「こっちの話です」

 昨日は、猫のせいで海まで来られなかった。

 今日は、猫を連れて海まで来た。

 そして猫だけ先に帰った。

  「…………」

 散歩というのも、なかなか思いどおりにはいかないものらしい。

 港の出口をもう一度見てから、少し笑った。





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